馬鹿にされていた少女時代:吃音(どもり)解消法



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馬鹿にされていた少女時代

正直に言えば、私の少女時代のお話はあまりしたくはありませんでした。

それは重度の吃音で悩まされ続けていた私の少女時代が「辛かったか」「辛くなかったか」と言ったら、やはり「辛かった」という記憶が鮮明に残っているからです。

それを思い出すということ自体が私自身、辛い気持ちになってしまうため、本当ならもう二度と思いだしたくはなかったのですが、私の辛い過去をあなたにお話することで、過去の私と同じ体験をしている現在のあなたやあなたのお子様が、少しでも勇気付けられればと思い、今回辛い気持ちを我慢して書く決意をしました。

それではお話していきますね。
私は昭和23年、5人兄弟の3番目の長女として生まれました。

父は力仕事のできる男の子が欲しかったのか、私が生まれたとき

「何だ、女か」
と言い、あまり歓迎しなかったそうです。

そのため私は母親が大好きでした。
いつも母親にべったりとくっつき、どこへ行くにも側を離れなかった、そんな記憶が鮮明にあります。

しかしそんな大好きな母は5人目の子どもを出産後、体調が優れず寝ていることの方が多い時期がありました。
私は子ども心に不安がつのり、眠れない夜が続いた事をよく覚えています。

そんなある日のこと、私は物心がつき始め、自分自身の異変に気づいたのです。


それは、最初の第一声がなかなか出てこないのです。声が出ても、喉の奥に何かつっかえたものがあるように、どもってうまく話せない、そんな自分に異変を感じたのです。


「おい京子、きちんと挨拶しないか」
「こ、こ、こ、こんにちは」
話したくてもうまく話せない、そんな自分が嫌で仕方がありませんでした。

それは小学生、中学生になっても続きました。
どもる人は皆同じ気持ちになると思いますが、私は小学校、中学校と本読みが大の苦手でした。

そのため本読みのある授業の前の日は、夜遅くまで部屋へこもり人の何倍も読む練習をしていました。
よく、一人で練習するときはどもらないといいますが、私の場合はなぜか意識しすぎるのかどもっていました。

一人で練習しているにも関わらず、どもっているわけですから、当然あてられて読むときはひどいものです。

どもる度に周りの視線が気になり、出来ることなら教室から逃げたい、
そんな気持ちになることはしょっちゅうでした。


「学校へ行きたくない…」
そう思うことは、幾度とありましたが、私は勉強は好きでしたので、周りの視線を我慢し、学校でも家でも勉強だけは一生懸命頑張りました。
その甲斐もあり、成績は上位を取らせていただいていました。

しかし、その事が裏目に出てか、中学三年生のとき生徒会役員に推薦されてしまったのです。
その時は本当に泣きました。
全校生徒の前で立候補の挨拶をしなければいけなかったからです。


でもこんな事は、私にとってはまだまだ序の口の事だったのです。
私が一番『吃音』で辛い思いをしたのは、高校に入学してからなのです。


posted by 吃音 at 00:00 | 吃音
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